2000.4.15更新

第14回にいがた映画塾定期上映会

2000

 
3月25日(土)

三条高校映画部上映会

1972→1999

 

 フツウの高校生は、フツウの大人となった。

 

イラスト・柳沢きみお

 

 シネバン2000、3月は設立から約半世紀という歴史を誇る、三条高校映画部の傑作選をお送りします。同部OBの吉田健明さんセレクションです。1972年から昨年までの選りすぐり14本をお送りします。

 

3月25日(土)午後3時開演(午後7時半終了予定)

新潟市万代市民会館3F視聴覚室にて開催

入場無料(ただし、カンパをお願いします)
 主催:にいがた映画塾、三条高校映画部OB会

 

■色濃く漂う時代の空気―上映会レポート

 学生サンは春休み真っ只中、三月二十五日(土)、シネバン通算十四回目は三条高校映画部上映会だ。

 1972年から99年までに映画部が自主制作した八ミリ映画・ビデオ作品は約50本。その中から厳選した14本(うち一本はOB会作品)を一挙に上映。30年近い映像の中に各時代の空気が色濃く漂い、高校生の視点からの独特のセンスが光る。

 上映会の後半に、各作品の監督・出演者が一堂に集まり、コメントをもらう。「当時の姿を見ると、懐かしく恥ずかしい」「年々撮影技術の向上もあるが、自分たちなりの工夫も見られる」「バカバカしくもあり、またマジメに物事に向き合っている」「30年間の高校グラフィティーは新鮮であり、貴重だ」など。

 入場者数35名

吉田健明


▼------------------ 開催予告 ------------------▼

 

上映作品

 

午後3時〜 

鬼と助 作品No.5963(ゴクロウサン)(1975年・8ミリ・15分)

監督:金子猛俊、出演:霜鳥敦/堀内裕/森井宏治/田中幸一

映画部では監督は絶対的権威をもち、鬼カントクと呼ばれている。鬼カントクは助カントクらを従え、体育祭の撮影。そこに外部からのヤな奴が登場。鬼シリーズの第1弾!

おもわれうぬぼれ春の恋(1977年・8ミリ・24分)

監督:時田美昭、出演:有本秀雄/高橋勲/霜鳥律子/青柳曉

親友の中村と小林は同時に裕子に恋する。積極的な中村は彼女に恋のアタック。しかし彼女の友達や暁の話から、どうも裕子は内気な小林に気があるみたい。

 

午後4時〜

RADIO MAN(1999年・ビデオ・5分)上村知宏監督

号泣五十三次(1999年・8ミリ・14分)内山喜人監督

青春 (セカンド)(1979年・8ミリ・7分)

監督:川又健司、出演:川又健司

死の宣告を受けた少年は目の前真っ暗。生きているうちに寿司を食いたい、バイクに乗りたい…

走り続ける僕らの汗(1983年・8ミリ・22分)

三条高校映画部制作、出演:賀井俊博/吉田弘一/藤亨/宮本直美

秋の文化祭を目標に映画を作っている部員たち。その中心は三年生の尾崎と真島だ。しかし突然、学校側は文化祭を二カ月早めると発表。真島は完成は無理と映画部をやめる。

 

午後5時〜

誰だ!?(1985年・8ミリ・12分)

監督:岩月十一郎、出演:佐藤健郎/清水暁雄/今井幸治

通学途中、当野は大切なものは何かというアンケートに、友達、お金、ゆで卵、そして命と答えた。なぜか答えたものが彼の周囲から次々と消えていく。やがて彼の命も…。

宇宙刑事ボーバン(1985年・4分)

監督:久保諭志、出演:小林浩/大桃学/飯盛良夫

学生に化け構内を歩いているボーバンは、火災報知器を鳴らそうとしている男をとめる。そしてついにボーバンに変身

THE刑事 機動特捜編(1988年・8ミリ・31分)

監督:田代英一郎、出演:熊倉一成/中野彰/神子島寛昭

正義感ゆえに強盗の凶弾に倒れた恵一は、サイボーグに改造され、再びロボット刑事としてよみがえった。相棒の頑固な老刑事とともに謎の犯罪組織への挑戦が始まる。

 

 

午後6時〜

A View of Life(1990年・8ミリ・15分)

監督:田辺秀行、出演:織田仁史、土田奈々子、田辺秀行

売れない若い画家が落ち込んでいると不思議な少女が現れる。彼女の何げない言葉に彼は励まされ、やがて絵は売れていく。そんな彼に画廊の主人が贋作の話を持ちかける。

来たりて楽園を見よ(1992年・8ミリ・15分)

監督:帯瀬利明、出演:大橋優智舘岡信也

近未来、一人の若者が逮捕された。取り調べが進むうちに

彼の背景が徐々に明らかになっていく。

街 氈E(1999年・ビデオ・6分)

監督:吉田健明、協力:三条高校映画部、出演:西村祥子/佐藤茂

街を離れていく「I」の少女。街に戻ってきた「II」の男。過去のフィルムを通して、二人それぞれのこれからを予感する。

 

午後7時〜

失くしたもの(1988年・8ミリ・4分)

監督:田代英一郎、出演:山田美紀/石川契雄

街で少年は少女と会う。しかし彼女は誰にも見えないようだ。彼が声をかけると少女は大事な人形をさがしていると答える。第22回全国高校生映像コンクール入選。

 

 

宇宙刑事シグマ(1984年・8ミリ・24分)

監督:久保諭志、出演:工藤和彦/小林浩/片岡希江子

ある高校が悪の組織に狙われていることを知った宇宙警察は宇宙刑事ボーバンを派遣する。ボーバンは高校生アキラをスカウトし、悪と戦う。第6回にいがた映画祭グランプリ。

 

 お断り:RADIO MANと号泣五十三次は昨年の新作のため、資料がなく作品解説は省略しました。

 

 

 

三高映画部の伝説

(1992年12月「三条高校映画部上映会1972-1992」のパンフレットより)

 

●生まれたのはいつ?

三条高校映画部が創部したのは、いつなのか? 我々取材班は70年代以降のOBのため、それ以前のことがわからない。

今回の作品リスト調査で、ストーリーのある映画製作は1972年からで、体育祭などの記録撮影は1969年ということがわかった。ただし、1969年の8ミリフィルムはタブルエイトで撮影しており、その後の映画部が使用しているシングル8とは編集できないため、体育祭映画が『1972一1992』となったのだ。同時に、70年以前にも映画部があり、その主たる活動は映画鑑賞であったこともわかった。

そこで図書館にある卒業アルバムを調べてみると、1953年(昭和28年)のアルバムにも映画部の写真は載っていた。残念ながらそれ以前のアルバムがなかったため、またも正確な発足した年は不明のまま。しかし、1953年の存在が確認でき、さらにはそれ以前にもあった可能性も出てきたわけだ。

とにかく、映画部には少なくともおよそ40年の歴史があり、そのことは誇りとしていいし、また、そのあたりがはっきりしないという点も、アバウトな映画部らしくていいんではなかろうか。

●あの大女優もスカウト

どちらかというと女子部員の少ない映画部は、いつの学年でも女優探しに苦労していた。当然のことながら、女子部員がいればヒロイン候補ナンバー1になる…ようなものだが、それはそれとして、監督のイメージ(というより共演者の趣味)で部員外の女の子の出演も数多い。

ある年、大作映画を作ろうと、ヒロイン探しにも気合いがはいっていた。女子部員はもとより、演劇部や同じクラスの女の子、人づてに知り合いを紹介してもらったり、はたまた通りすがりの人に……次々に出演を断られる。その中で、他の高校のある女子生徒と東三条駅近くの裏茶店で会い、出演交渉をする。返事はやっぱりNO。当時はもちろんフツーの女子高生の、この人こそあの樋口可南子サンであったとか。

映画部の映画に出なかったから、大女優になったんだとの声、多し!?

●映画祭総なめ

1984年『宇宙刑事シグマ』で第6回にいがた映画祭グランプリを受賞するまで無冠の映画部だった。それ以前にも全国的規模のコンテストに応募したこともあったが、映画部独特の作風は全く相手にされなかった。

1980年、県内にも学生を中心としたアマチュア8ミリ映画祭が開催されるようになった。高校・大学に映画サークルが生まれたり、文化祭のためにクラスで映画が製作されたり、1983年、映画祭への応募作品数はピークとなり、新潟の若い8ミリ作家たちの活動は活発になった。

そんな中で、なぜか映画部は1980年から3年間、全く映画製作をしていなかった。1983年、久々の作品を初めてにいがた映画祭に応募するが、予選落ち。予想以上にその壁は厚かった。しかし、翌年、期待せず『シグマ』を映画祭に出すと、かるく予選を突破。念願の本大会上映で新潟市公会堂のスクリーンにシグマが舞った。にいがた映画祭の審査は会場の一般観客の投票によるもので、大衆ウケした『宇宙刑事シグマ』は堂々のグランプリを獲得したのであった。

その後、にいがた映画祭に出す映画部の作品ほとんどが上映されるようになり(応募作品が減り、全体のレベルの低下もあるが)、映画祭の常連となった。また、1988年、第22回全国高校生映像コンクールに『失くしたもの』が入選したことで、映画部は新たな評価も得た。

●マスコミも注目

映画部の名がマスコミに登場したのは、なんと「少年サンデー」が最初であった。1975年、サンデーに連載していた『試験あらし』を映画にしたいと手紙を出したところ、高校生が受験をテーマに映画化ということで誌上に載り、話題になって「高二コース」「週刊プレイボーイ」からも取材を受けた。おかげでその年の三高祭の上映会場は超満員。マスコミの力の凄さを知った。

次によく出るようになったのは、やはり1984年のころから。『シグマ』はグランプリと同時に新潟日報社賞も受賞したのだが、新潟日報夕刊が県内の8ミリ映画をシリーズ連載し、映画部はその中で大きく取り上げられた。続けて1988年ころまで日報、三条新聞を中心に、朝日・毎日新聞などの地方版や「グラフにいがた」などに載った。

しかし、なんといっても1987年NHK・朝のニュースの放送で最も多くの人たちに映画部の存在を知られることとなり、反響も大きかった。再び注目を浴びた映画部は、またあらためてマスコミの、さらには映像メディアによるその影響力に驚くのであった。

●体育祭のヒーロー

毎年、体育祭で各チームの入場行進の最後に、小人数の奇妙な行進が続く。この一団こそ映画部なのだ。

なぜ、体育祭のマジメナ行進の後に、ただの一クラブである映画部のフザケタ行進があるのか。それは『鬼と助 作品No.5963』から始まる。これは体育祭を撮る映画部員たちの映画で、実際の競技や応援合戦に勝手に映画部がまぎれこんで参加し、ゲリラ撮影しているのである。その一シーンに、映画部の演技としての入場行進があるのだ。

これは『鬼と鬼』『鬼部長と文部省』にも受け継がれた。鬼シリーズが作られなくなっても、なぜか行進だけは毎年続き、1975年の行進から、今年18回目の入場行進を数えた。

●新しい伝説の始まり

そして、今年1992年、映画部はついに一台の8ミリビデオカメラを購入した。

8ミリ映画をとりまく厳しい状況の中でも頑張ってきた映画部は、ビデオの分野でもまた新しい挑戦を始める。

今後の三条高校映画部の活躍に期待する。

 

 

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