99.10.08
―「白痴」制作・新潟の2000日物語―
「白痴」の記録編纂委員会編
新潟日報事業社発行
定価1500円(税込)四六判、275ページ
はじめに1993年3月27日、手塚眞は新潟を訪れた。新潟・市民映画館シネ・ウインド代表の斎藤正行に映画「白痴」の協力を求めるためだ。映画「白痴」は「東京資本」に見捨てられた企画だった。ウインドの斎藤は、敬愛する坂口安吾の原作であることや、困難な夢に立ち向かう人を応援したいという気持ちから、「白痴」への協力を約束する。一方、プロデューサーの古澤敏文は、「白痴」を新しい地域文化の起爆剤にしようと「運動」を開始する。新潟での映像文化の興隆への思いにあふれていた「にいがた国際映画祭」スタッフの矢部孝男(現にいがた映画塾代表)も、「白痴」の趣旨に賛同、協力をすることになった。
1 出会い手塚来訪/10年越しの思い/シネ・ウインド/ヴィジュアリスト/古澤の勝算/眠る男
2 にいがた映画塾
3 成功させる会
制作準備室/活気/後援探し/「核」探し
制作費7億円の半分、3億5000万円を新潟から集めることを目標に、制作拠点となる「新潟・映画「白痴」制作準備室」や、後援団体の「映画「白痴」を成功させる会」などの枠組みは整った。しかし制作資金は思うように集まらない。結局、97年秋という撮影開始の日程は1年後にずれ込むことになる。なぜ新潟からお金が集まらないのか。「白痴」は新潟で撮る必然性がないためだ。純粋に「映画を撮る」。そのこと自体に意味があることだと訴えたが、行政、企業などの「団体」の動きは鈍かった。
1 盛り上がらぬ新潟古澤のイライラ/3億5000万円/撮影延期/空中分解の危機
2 なぜ新潟か
わかないイメージ/安吾と新潟/再編成/仕切り直し
3 越えられない壁
企業支援委員会/平行線/アート・サポーターズ/アプローチ/行政支援/ボタンの掛け違い
一方、「個人」は動いた。新潟初のオープンセットに引きつけられるように、大勢のボランティアが参加した。成り行きで関わることになった企業内の人たちも映画制作の魅力にとりつかれていく。それぞれがこの映画で自分自身を振り返った。「映画の力」に一人ひとりが魅せられていった。そして映画撮影はクライマックスに近づいていく。
1 オープンセット阿賀の家/美咲町1丁目/先発隊到着/映像十字軍/セットづくり/手塚プロの決断
2 クランクイン
過酷な現場/新潟俳優部/ボランティアの存在/焼け跡づくり/準備室閉鎖/松之山
3 一番暑い夏
500人エキストラ/クランクアップ/夢のあと/映画の芽
資料編
HAKUCHI通信/映画「白痴」年表/映画「白痴」関連名簿あとがき
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