99.2.13
新潟8ミリ映画のセイシュン
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写真=祭りが終わる時
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8ミリに高校生パワー
それは、新潟の高校生・大学生たちにも例外ではなかった。クラスで作り、文化祭で上映という高校生8ミリ映画は稚拙ながら、高校生特有の意欲、エネルギー、感性に溢れていた。それら傑作を文化祭以外の上映機会で観てもらおうと、新潟大学の学生が中心となって、80年春「第一回高校生映画を上映する会」を音楽文化会館大ホールで開いた。新潟明訓高校三年十一組『同じ時代に』をはじめ、新潟・新発田.西新発田・黒埼・糸魚川の六高校十一本を上映した。
続く第二回は文化祭で盛り上がった同じ年の秋に行われる。この時より映画大賞などが設けられた。翌年の第三回から大学生も加えた「学生映画祭」となり、大賞には新潟大学映画倶楽部『海が見えなくなった日』が。82年、第四回から会場は公会堂に。大賞の長岡高校特撮研究会『いかづち仮面・弐』など、応募二五本上映十二本と若い8ミリ映画人口は着実に増え、広がっていった。
一方、81年夏から、当時のライフ劇場で日曜早朝「ライフ8ミリ上映会」が開かれ、第一回『同じ時代に』を上映。以後83年冬まで十二回行われる。8ミリフィルムを映画館のスクリーンに映すという、ひとつの夢が実現した。
83年春には、新潟市教育委員会主催の「社会教育を進める市民の集い」が開かれ、「今、ボクらが訴えたいこと」と題して、高校生の8ミリ映画三本が上映された。興味ある人だけでなく、一般市民にも高校生8ミリの存在を知ってもらえる機会となった。
さらに同年夏、新潟の学生8ミリが東京に進出した。「こしひかりing '83第一回にいがた映画祭・in東京」と名付けたイベントは、東京のシネプラザ・スペース50において、過去の映画祭での名作など十本を集めて上映。特に、前年『N高番外地』『黄昏に別れを告げた夏』を発表した新潟南高校の坪井宏監督の新作『美少女地獄絵図』は、評判を得る。少年少女の危険なロマンスを描いたこの作品は、鮮烈で、妖しい魅力がある。東京に新潟8ミリをアピールでき、また県内作家たちも大いに刺激を受け、この映画祭は大成功。再び二年後「こしひかりing '85in東京」を開くことができた。
写真=『美少女地獄絵図』(1983年・42分)監督・・坪井宏 出演・・水野裕美子 星野達郎同じく83年秋、社会人にも門戸開放した「第五回にいがた映画祭」は、応募二九本で過去最高となり、内容的にも高レベルの作品が多かった。予選通過の九本が上映され、大賞は新潟南高校三年五組『高校生日記−夏−』に決定。社会人も参加したとはいえ、全体の約七割が高校生の作品で、そのパワーと情熱に圧倒された。
そして、その翌年の春、8ミリ自主映画界では最も難関といわれる「ぴあフィルムフェスティバル」に『美少女地獄絵図』が堂々、入選を果たした。
(月刊ウインド1993年11月号掲載)