99.2.13


 

にいがた映画塾前史発見!

 

 1997年にスタートした「にいがた映画塾」の「前史」とも呼べる文章がこのほど新潟市民映画館シネ・ウインドから発掘された。「映像文化不毛の地」と揶揄(やゆ)された新潟も、映画塾発足の数年前までは活動が活発だった様子がうかがえる貴重な記録だ。

 「新潟8ミリ映画のセイシュン」と題した文章は、ウインドが毎月発行している「月刊ウインド」の93年11月号に掲載された。書いたのは、中之島町に住む吉田健明さん(40)。映画塾発足メンバーの一人でもある吉田さんは、中学生からの「インディーズムービー・フリーク」の筋金入りの一人。

 吉田さんによると、新潟でのインディーズムービー(当時は自主映画と呼ばれていた)の上映会は90年を境に衰退をみせ、92年を最後に大きな上映会は新潟では消滅した。そのため「自主映画作家の創作意欲を鼓舞したくて、企画をウインドに持ち込み、月刊ウインド掲載が実現した」のだという。

 「8ミリ映画のセイシュン」によると、新潟でのインディーズムービーの歴史は1960年代に8ミリフィルムが家庭に普及し、一部の愛好家による制作が拡大したところから始まる。80年代には高校生のパワーが台頭。彼らが大学に進むにつれ、映画制作は広がりを見せ、全国的にも評価を受ける作品が出てきたという。

 83、84年ごろが、まさに新潟8ミリシーンの「黄金期」。ところが、ビデオカメラが次第に普及していったにも関わらず、つくる側も見る側も次第にパワーダウンしていく無念さが、吉田さんの文章の行間から読みとれる。

 吉田さんは最後にこう結んでいる。「次第に経済効率の悪いものはいずれ切り捨てられてしまう世の常があるとはいえ、この8ミリ映画を愛する人たちがいる限り、その灯は消し去ってはならない」。その灯は「にいがた映画塾」にバトンタッチされたといえる。先人の熱意を受け継いでいきたいものだ。

 

吉田さんのご厚意で新潟8ミリ映画のセイシュン全文を掲載しました。

<その1>  <その2>  <その3>  <その4>

新潟映画祭などの主な上映作品


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