99.7.10


●にいがた映画塾第4期講座●

講師紹介

6月23日現在の情報です。随時更新していきます。
名前をクリックすると、その講師の方の経歴を見ることができます。

(50音順)

青山真治 ■荒井晴彦 ■大倉宏 ■かわなかのぶひろ

北野圭介 ■小林 茂 ■笹崎 隆 ■戸中井三太

ナシモトタオ ■野上純嗣


 

青山真治(あおやま・しんじ)

1964年7月13日北九州市生まれ。映画監督。高校時代はロックバンドを結成するなど、音楽に明け暮れる。立教大学文学部英文科入学後、映画研究会に入り8ミリ映画制作を始め「MY GIRL FRIDAY」「夜までひとっとび」「赤いマフラー」等を発表。在学中に現実京大学総長の蓮實重彦氏の「映画表現論」講義に大きな影響を受け、卒業後はアルバイトをしながら8ミリ映画を撮る日々を送る。万田邦敏監督(「宇宙貨物船レムナント6」)の紹介で美術助手として映画界入り。フリーの助監督として、黒沢清監督「地獄の警備員」(92年)などに就く。フレドリック・フリドリクソン監督「コールド・フィーバー」(95年)、ダニエル・シュミット監督「書かれた顔」(96年)にも助監督として参加する一方、雑誌に映画評論を執筆するなど活躍の場を広げる。95年にVシネマ「教科書にない!」で監督デビュー。96年、浅野忠信主演「Helpless」で衝撃的な劇場映画デビュー。以後、「チンピラ」(96年)「WILD LIFE」(97年)「冷たい血」(97年)と約1年半のうちに4本の作品が公開された。いずれの作品も海外の映画祭で高い評価を受ける。また、広島で開催された「セレブレーション・シネマ101」にビクトル・エリセ監督、ジョナス・メカス監督たちと並んでビデオのオムニバス作品に参加。99年6月には最新作「シェイディー・グローヴ」が東京・渋谷のユーロスペースで公開される。現在は98年撮影した自主制作の音楽ドキュメンタリーの仕上げ中。99年夏には新作の撮影に入る予定。フィリップ・ガレル氏をフランスの叔父さんと呼び、彼をインタヴューしたことにより映画を撮り続けることが「闘争」であるということを再確認、自分もまた「闘争」を始めると宣言している。


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荒井晴彦(あらいはるひこ)

 1947年1月26日東京都出身。脚本家。早稲田大学時代は学生運動に没頭。大学抹籍後「映画芸術」の復刊に参加。やがて足立正生の誘いで、若松プロに出入りするようになり、ピンク映画の脚本や助監督を手がける。その後、田中陽造氏の清書係となり、日活映画「新宿乱れ街いくまで待って」(1977年)で本格的に脚本家デビュー。以降、日活、松竹、東映など各社で多くの脚本を執筆。代表作に神代辰巳作品「赫い髪の女」、根岸吉太郎作品「遠雷」「ひとひらの雪」、前田陽一作品「神様のくれた赤ん坊」、藤田敏八作品「ダブルベット」、澤井信一郎作品「Wの悲劇」、滝田洋二郎作品「眠らない街 新宿鮫」等、実に多くの作品がある。「Wの悲劇」と「噛む女」で二度、キネマ旬報脚本賞を受賞。男女の機微を細部にわたって書くことで定評を得る。89年からは「映画芸術」の編集長に就任し、評論家のみならず脚本家や監督など、映画人を積極的に書き手に採用し、業界の話題を呼んだ。そして97年には、全共闘世代の人間模様を描いた「身も心も」を初監督。脚本家として近作に、98年公開された根岸吉太郎監督「絆」や99年夏頃公開予定の望月六郎監督「皆月」がある。


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かわなかのぶひろ

 映像作家。東京造形大学教授。画家が絵筆を持つように、指の先に映画カメラがあるように撮る。日々小型8ミリ・カメラを携帯し、これまでに膨大な量のフィルムが回った。その瞬間瞬間の映像を取り出し、萩原朔美との間で映像のの往復を行なった『映像書簡』(79〜82年,94〜96年)シリーズは、世界でも例のない斬新な試みだった。古い映像の再利用など、世紀末を迎えた今日の世界的な流行である「記憶」を描くことの先駆け映像作品を手掛けた。日本のビデオアート第一世代の作家のひとりで、映像コンテストの審査員も多数務める。主な作品に「水の記憶」(62年)『スイッチバック』(76年)『B』(83年)『私小説1〜5完結篇』(87〜92年など)。


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大倉宏(おおくら ひろし)

1957年生まれ。85〜90年新潟市美術館に学芸員として働く。90年にフリーとなり、新潟を拠点に評論活動を始める。「佐渡渓展」(東京ステーションギャラリー/94年)、「佐藤哲三展」(新潟県立近代美術館/95年)を監修。近年は建物や町並みにも興味を持ち『月間風だるま』(文化現場)に「新潟に住む心地」、『新潟日報』に「外観の新潟」を連載。また直接的な行動として、第四銀行住吉町支店の現地存続を求める署名活動や、近く売却される日本銀行新潟支店の支店長邸宅を新潟市に買い取ってもらう働きかけなどを有志とともに展開している。


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北野圭介(きたの けいすけ)

大阪府出身。新潟大学人文学部助教授。1989年−98年 ニューヨーク大学研究科をへて、95年ごろからニューヨーク大学他で非常勤講師などを経験。ここ数年で思い出に残っている映画は「スクリーム2」、本当は実験映画が好き。


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小林茂(こばやししげる)

 1954年新潟県生まれ。映画キャメラマン。監督。写真家。長岡高校・同志社大学法学部卒。砲丸投げ県高校記録を長く保持。「福祉」を問いつづける柳沢寿男監督の助監を経て、ドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」(92年/佐藤真監督)の撮影により日本映画撮影監督協会第1回JSC賞受賞。他のドキュメンタリー作品に「農民とともに〜佐久総合病院の50年〜」(95年/時枝俊江監督)、「地域をつむぐ〜佐久総合病院小海町診療所から〜」(96年/同)、また97年に第1回監督・撮影「放課後」を完成。写真集に「今日もせっせと生きている」(81年/風媒社)、「ぱんぱかぱん」(85年/径書房)、「グラフィックドキュメント・スモン」(89年/日本評論社・共著)、「トゥスビラ・希望−ウガンダに生まれた子供たち」(96年/情報センター出版局)がある。現在、4年がかりで北海道の炭鉱を舞台に記録映画「闇を掘る」(藤本幸久監督)を撮影中。98年夏には「放課後」の続編「自転車」を監督・撮影し、99年4月に完成。長岡市で母、妻、娘、犬一匹と暮らす。


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笹崎隆(ささざきたかし)

 1958年新潟市生まれ。ビデオカメラマン。専大映研時代、数々の自主映画に参加する。主なパートは照明。その後、イメージフォーラム附属映像研究所で実験映画、個人映画を制作する。81年からビデオ作品も手がける。91年、ビデオ制作プロダクションを設立する。にいがた映画塾には第1期から、スタッフ(講師兼任)として参加する。ビデオから16mmまで、幅広い知識と経験にもとづいて、映画塾塾生をはじめ、新潟のインディーズ作家の指導にあたっている。


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戸中井三太 (となかいさんた)

1964年新潟県生まれ。劇団カタコンベ座長。脚本家。演出家。俳優。1985年新潟大学演劇研究部在籍中、有志4名とともに劇団カタコンベを創立。以後3年間、メンバー不定で、ゲリラ的に公演活動をしていたが、1989年、座長に就任し、新潟市内にアトリエを持つ本格的な劇団として、カタコンベを再結成する。オリジナル作品を公演し続けている。また、他劇団にも脚本を提供している。主な作品:「死人と踊れ」(アトリエ、劇団昴三百人劇場、駒場アゴラ劇場)「悪意の天使」(アトリエ、松本劇場フェスティバル、新潟フェイズ)「Slow Sand」(新潟、富山、山形)「コップの水の向こう側に風に吹かれてミジンコが行く」(新潟、柏崎、長岡、東京)

 


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ナシモトタオ

 吉田町生まれ。映像作家。1982年〜85年まで劇団コスモス/テアトル・アカデミーに所属。89年東京映像芸術学院に入学するが、一年で中退。その後、今関あきよし監督のプロモーション・ビデオの製作に参加したことをきっかけにフリーの制作進行として、ユニコーン、THE BOOM、真心ブラザース、江口洋介等を手掛ける。91年、筋肉少女帯「暴いておやりよドルバッキー」で、ディレクターとなる。並行してJリーグのチームビデオ制作に参加。初年度は鹿島アントラーズのラインプロデューサー、翌年、ジュビロ磐田のディレクターを担当するが、そのビデオ制作中に病に倒れ降板、帰郷し個展「glass ball」で写真家として本格デビューする。数度の個展、グループ展を重ねる中でスライドを使った発表形態をとるようになる。「通常のスライドショーでは、映しだされる映像の“なにか”は伝わらない。受け手が自分のスピードで観るべきだ」と、プロジェクターを街に出し、路上の壁面に映して、受け手自らに操作させる「アクティライド」を提唱し始める。97年、新潟のサッカープロチーム、アルビレックス新潟の専属カメラマンになる。同年秋、自らをスライドパフォーマーと称して、スライドシネマ「カオス」をシネ・ウインドにて上映する。その時来県していた女優千賀ゆう子と意気投合し、98年新津市美術館にて演劇とスライドのコラボレーション「花の下にて」で共演する。同年、製作集団「in out」旗揚げ。にいがた映画塾には立ち上げの時から関わり、第3期から講師として参加する。昨年5年ぶりの自主映画「12 go stray」を撮りあげる。現在はアルビレックスを撮るかたわら、次回作の準備、千賀企画と共同製作による「古事記」韓国・仙台・東京上演の準備、「桜の森の満開の下」のポーランド、ルーマニア上演の準備に追われている。

 


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野上純嗣(のがみすみつぐ)

 1963年生。長岡大手高卒。大阪芸大映像計画学科卒。イメージフォーラム付属映像研究所卒。90年、イメージフォーラムフェスティバルで自主制作映画「すみつぐのつぐ」がグランプリ受賞。長岡に帰郷後、映像制作にたずさわる。ドラマ、ドキュメンタリー、結婚式、記録、PR、取材、その他各種映像。作品「酒造りの唄」(1998・VTR作品)など。ミニシアター系フィルムの配給、上映コーディネートも行う。現在、新潟デザイン専門学校 非常勤講師。映画論、映画制作、映画演習、映像コース担当。長岡・市民映画館をつくる会スタッフ。


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